2008.02/23(Sat)
究極の選択
今は思い出したことを、ただただ記事に書いています。
時代の前後もあると思いますが、ご理解頂けると幸いです。
-------------------------------------------------------------------------------------
あれは小学校3年生位だろうか?それとも違うのか?とにかく姉妹共に小学生だったと思う。
私たち姉妹は突然、両親から究極の選択を迫られた。
「離婚することになったから、どっちの親と一緒に住むか選びなさい」
そんなこと選べるはずもない…
黙っている私たちを見て母はこう言った。
「お母さんと一緒に来たら時々はお父さんと会えるよ。でもお父さんと一緒に行ったら、
お父さんは若い女の人と結婚するから継母にいじめられるよ」
父は黙っていた。姉はその言葉を聞いて母を選択した。私は選択できずにいた。
父には会いたい、継母にいじめられるのも嫌だ。でも先に姉が母を選んでしまった。
私も母を選ぶと父は悲しいのではないか?その思いだけが頭にあって、返事ができず黙っていた。
「どうするの?」
母に急かされ、胸が張り裂ける思いで母を選んだ。母は満足そうだった。
今思えば、なぜ「2人一緒じゃないと嫌だ」と言えなかったのだろう。
やはり毎晩のように大声でケンカをしていた両親を知っているので、どこかで離婚は決定的
と思っていたのかもしれない。
その後、両親の間でどんな話し合いがあったのかは知らないけれど、結局この時は離婚をせずに
やり直すことにしたらしい。
やり直すなら子供にとって胸が張り裂ける思いの究極の選択をさせる前に夫婦で解決して欲しかった。
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今はなぜか書かなければという気持ちが強く、記事をUPしています。
記事を優先させてしまい、コメントのお返事が遅れてすみません。
少しずつお返事させて頂きますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
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あれは小学校3年生位だろうか?それとも違うのか?とにかく姉妹共に小学生だったと思う。
私たち姉妹は突然、両親から究極の選択を迫られた。
「離婚することになったから、どっちの親と一緒に住むか選びなさい」
そんなこと選べるはずもない…
黙っている私たちを見て母はこう言った。
「お母さんと一緒に来たら時々はお父さんと会えるよ。でもお父さんと一緒に行ったら、
お父さんは若い女の人と結婚するから継母にいじめられるよ」
父は黙っていた。姉はその言葉を聞いて母を選択した。私は選択できずにいた。
父には会いたい、継母にいじめられるのも嫌だ。でも先に姉が母を選んでしまった。
私も母を選ぶと父は悲しいのではないか?その思いだけが頭にあって、返事ができず黙っていた。
「どうするの?」
母に急かされ、胸が張り裂ける思いで母を選んだ。母は満足そうだった。
今思えば、なぜ「2人一緒じゃないと嫌だ」と言えなかったのだろう。
やはり毎晩のように大声でケンカをしていた両親を知っているので、どこかで離婚は決定的
と思っていたのかもしれない。
その後、両親の間でどんな話し合いがあったのかは知らないけれど、結局この時は離婚をせずに
やり直すことにしたらしい。
やり直すなら子供にとって胸が張り裂ける思いの究極の選択をさせる前に夫婦で解決して欲しかった。
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2008.02/23(Sat)
姉妹ゲンカ
今は思い出したことを、ただただ記事に書いています。
時代の前後もあると思いますが、ご理解頂けると幸いです。
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うちは姉妹仲がとても悪かった。悪いなんてもんじゃない。血を見るケンカがほぼ毎日なされていた。
ケンカが始まるのは大抵夕方。2人とも帰宅してからの時間だ。
姉は常にイライラしていた。何か理由を見つけては私にケンカを吹っかけてきた。
私も黙っていれば良いものを、言い返しケンカが始まり私はボコボコにされる。
一度始まると、私が出て行くか両親のどちらかが帰宅するまで永遠に続く。
両親の帰宅も大抵は母の方が早かったが、それでも21時頃なので2〜3時間は繰り広げられる。
母が帰ってくると、まず2人とも母の一喝でケンカが終わる。
けれど、ここから母のお説教が2時間近く行われる。
まずはケンカの理由を問われる。でも何時間もケンカした後だ、しかも理由なんて些細なもの。
あまり覚えていないくらい些細なことだ。
私は物心付いたときから、こんな日を毎日のように過ごしていたので、いつの間にか
「適当にやり過ごす」という技を身につけた。
私は、ただ黙って「ハイ」を繰り返す。でも姉は違った。姉は納得いくまで反抗する。
私が黙って「ハイ」というのに対して、姉は反抗するので母の体罰が始まる。
今度は姉が母にボコボコにされる番だ。
叩かれても殴られても反抗する姉に母は容赦ない。
最初は平手でビンタから始まるが、そのうち物を出してくる。
ある時はソロバン。これは姉が丸まっている背中をソロバンで殴った瞬間ソロバンが割れて
玉?が飛び散った。
ある時は掃除機の棒で殴っていた。物がない時はホッペが目を圧迫するくらい真っ赤になるまで
本気で何度もビンタをしていた。
こういう時間が2時間ほど続く。この間、私は姉を庇うわけでもなく、ただ小さくなって見ていた。
心の中では「黙ってハイ。ごめんなさいと言えば、こんなに殴られなくて済むのに」と思っていた。
そのうち父が帰ってきて本当の終了がくる。
私は姉がボコボコにされているのを見ながら、父が帰ってくる時間を今か今かと待っていた。
そして、この母から姉への仕打ちは数日後に私へと返ってくる。
今思えば姉も可哀相だ。納得いかないから反抗する。子供なら当然であろう事をすると
ボコボコにされる。冷静に見ていた私の方が異常だったのかもしれない。
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うちは姉妹仲がとても悪かった。悪いなんてもんじゃない。血を見るケンカがほぼ毎日なされていた。
ケンカが始まるのは大抵夕方。2人とも帰宅してからの時間だ。
姉は常にイライラしていた。何か理由を見つけては私にケンカを吹っかけてきた。
私も黙っていれば良いものを、言い返しケンカが始まり私はボコボコにされる。
一度始まると、私が出て行くか両親のどちらかが帰宅するまで永遠に続く。
両親の帰宅も大抵は母の方が早かったが、それでも21時頃なので2〜3時間は繰り広げられる。
母が帰ってくると、まず2人とも母の一喝でケンカが終わる。
けれど、ここから母のお説教が2時間近く行われる。
まずはケンカの理由を問われる。でも何時間もケンカした後だ、しかも理由なんて些細なもの。
あまり覚えていないくらい些細なことだ。
私は物心付いたときから、こんな日を毎日のように過ごしていたので、いつの間にか
「適当にやり過ごす」という技を身につけた。
私は、ただ黙って「ハイ」を繰り返す。でも姉は違った。姉は納得いくまで反抗する。
私が黙って「ハイ」というのに対して、姉は反抗するので母の体罰が始まる。
今度は姉が母にボコボコにされる番だ。
叩かれても殴られても反抗する姉に母は容赦ない。
最初は平手でビンタから始まるが、そのうち物を出してくる。
ある時はソロバン。これは姉が丸まっている背中をソロバンで殴った瞬間ソロバンが割れて
玉?が飛び散った。
ある時は掃除機の棒で殴っていた。物がない時はホッペが目を圧迫するくらい真っ赤になるまで
本気で何度もビンタをしていた。
こういう時間が2時間ほど続く。この間、私は姉を庇うわけでもなく、ただ小さくなって見ていた。
心の中では「黙ってハイ。ごめんなさいと言えば、こんなに殴られなくて済むのに」と思っていた。
そのうち父が帰ってきて本当の終了がくる。
私は姉がボコボコにされているのを見ながら、父が帰ってくる時間を今か今かと待っていた。
そして、この母から姉への仕打ちは数日後に私へと返ってくる。
今思えば姉も可哀相だ。納得いかないから反抗する。子供なら当然であろう事をすると
ボコボコにされる。冷静に見ていた私の方が異常だったのかもしれない。
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2008.02/08(Fri)
良い思い出と悪い思い出
私は子供の頃から料理が好きだった。
そのせいもあってか、両親のお誕生日と結婚記念日、父の日&母の日、バレンタインには
必ず何か作っていた。
ケーキを作ってみたり、プリンを作ってみたり、手作りチョコを作ってみたり。
両親の喜ぶ顔が見たかった。
というより両親の気を引きたかったのかもしれない。
小学生時代の良い思い出は恐らくこれではないかと思う。
その他はあまり良い思い出はない。
夜中に母に何度叩き起こされたか知れない。
眠い目をこすって起きると、母は
「今から家を出るから支度をしなさい!」
と言ってストーブの前で着替えをさせる。その横で父は説得をする。
結局、父の説得に応じて母は家を出ることをやめる。
夜中に起こされた私達姉妹はいい迷惑だ。
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そのせいもあってか、両親のお誕生日と結婚記念日、父の日&母の日、バレンタインには
必ず何か作っていた。
ケーキを作ってみたり、プリンを作ってみたり、手作りチョコを作ってみたり。
両親の喜ぶ顔が見たかった。
というより両親の気を引きたかったのかもしれない。
小学生時代の良い思い出は恐らくこれではないかと思う。
その他はあまり良い思い出はない。
夜中に母に何度叩き起こされたか知れない。
眠い目をこすって起きると、母は
「今から家を出るから支度をしなさい!」
と言ってストーブの前で着替えをさせる。その横で父は説得をする。
結局、父の説得に応じて母は家を出ることをやめる。
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2008.02/04(Mon)
小学生の頃
私は2人姉妹の妹です。姉とは3つ年が離れています。
小学校2年生位までは姉妹同じ部屋でした。
布団はそれぞれあるのですが、寝付くまでの間私は姉のオモチャでした。
「空〜こっちの布団おいで♪」
「うん」
喜んで行くと姉は時には小さく、時には大きく私を抓ります。
そして私は泣き出し自分の布団へと戻る。すると姉は
「ごめんね。もうしないからこっちにおいで」
私はその言葉を信じて、また姉の布団へ・・・そして、また抓られる・・・
私も行かなければ良いものを「こっちへおいで」と言ってもらえるのが嬉しくて
何度も同じ事を繰り返す。
今思えば姉も愛情に飢えていたのだろう・・・
けれど小学生だった私にそんなことが分かるわけもなく、ただただ悲しかった。
でも、こんなのは序の口だった。年を重ねるごとに姉と私の関係は悪化していった。
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布団はそれぞれあるのですが、寝付くまでの間私は姉のオモチャでした。
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「うん」
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そして私は泣き出し自分の布団へと戻る。すると姉は
「ごめんね。もうしないからこっちにおいで」
私はその言葉を信じて、また姉の布団へ・・・そして、また抓られる・・・
私も行かなければ良いものを「こっちへおいで」と言ってもらえるのが嬉しくて
何度も同じ事を繰り返す。
今思えば姉も愛情に飢えていたのだろう・・・
けれど小学生だった私にそんなことが分かるわけもなく、ただただ悲しかった。
でも、こんなのは序の口だった。年を重ねるごとに姉と私の関係は悪化していった。
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2008.02/04(Mon)
いてもいなくても良い存在
私は小学校5年生まで、学校に登校していても休んでいても気付いてもらえないくらい
影の薄い存在でした。
この頃から既に人とコミュニケーションを取る事が苦手でした。
いつも休憩時間は教室の片隅で絵とか書いたりしてるような、暗い子供でした。
自宅に帰ると姉にいじめられるので、自宅も嫌いでした。
この頃の記憶はほとんどありませんが、毎晩のように両親がケンカをしていた事は覚えています。
寝ていても目が覚める位の大声でケンカをしていました。
時には何かが割れる音も聞こえたり・・・
私は子供の頃とても体が弱く、よく風邪を引き風邪を引いては嘔吐&熱性痙攣?ひきつけ?
を起こしていました。いつもは2階の子供部屋で寝るのですが、いつ痙攣するか分からず
風邪を引くと両親の部屋で寝ていたことも多々ありました。
私がすぐ横で寝ていても、お構いなしに繰り広げられる両親の大ゲンカ。
私は目が覚めても、起きていることを気付かれないように、できるだけ動かないようにして
布団の中で丸まっていた。
学校もキライ、自宅もキライ、当時の私の居場所はいったいどこだったんだろう・・・
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影の薄い存在でした。
この頃から既に人とコミュニケーションを取る事が苦手でした。
いつも休憩時間は教室の片隅で絵とか書いたりしてるような、暗い子供でした。
自宅に帰ると姉にいじめられるので、自宅も嫌いでした。
この頃の記憶はほとんどありませんが、毎晩のように両親がケンカをしていた事は覚えています。
寝ていても目が覚める位の大声でケンカをしていました。
時には何かが割れる音も聞こえたり・・・
私は子供の頃とても体が弱く、よく風邪を引き風邪を引いては嘔吐&熱性痙攣?ひきつけ?
を起こしていました。いつもは2階の子供部屋で寝るのですが、いつ痙攣するか分からず
風邪を引くと両親の部屋で寝ていたことも多々ありました。
私がすぐ横で寝ていても、お構いなしに繰り広げられる両親の大ゲンカ。
私は目が覚めても、起きていることを気付かれないように、できるだけ動かないようにして
布団の中で丸まっていた。
学校もキライ、自宅もキライ、当時の私の居場所はいったいどこだったんだろう・・・
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2008.02/03(Sun)
良い子
今日は少し気分も良く、以前から書こうと思っていた私の過去に触れていきたいと思います。
といっても、私は自身の子供時代の記憶が曖昧です。
「思い出したら書く」というスタイルになるので、記事が前後することがあると思います。
どうぞ、ご了承ください。
-------------------------------------------------------------------------------------
私は幼少期〜小学生時代にかけて、いわゆる「良い子」だった。
両親の期待に沿わなければ・・・と思っていた。
父は大手アパレルメーカーに勤務していたので、いつもオシャレなブランド物を着せられていた。
といっても、父が会社から年に2回大量の服をダンボールで自宅に送り、その中から母が選ぶ
という形だった。
小学生の高学年位までは、私たち姉妹の着る服は毎日母が選んでいた。
小学生時代の記憶で今でも鮮明に覚えている記憶がある。たぶん1〜2年生の頃だと思う。
ある日、母が私に
「今日はあの服を着なさい」
と言った。私はタンスを探したが見つからない。その事を母に伝えると母は
「そんなはずはない、絶対にあるから探してきなさい」
当時の母は怖かった。私は言われるがまま、再度探しに行った。やはり見つからない。
「お母さん、ホントにないよ・・・」
すると母の顔は豹変し
「ホンマにないねんな!お母さんが見に行ってあったらどうする?」
という言葉と共に、ものすごい勢いで私たち姉妹の部屋へ行ってタンスを漁る母。
私の記憶はここまで。この後、服が見つかったのか見つからなかったのかは覚えていない。
ただただ母が怖かった。
「もし服があったらどうしよう・・・」
そのことだけ考えていたのを覚えている。
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といっても、私は自身の子供時代の記憶が曖昧です。
「思い出したら書く」というスタイルになるので、記事が前後することがあると思います。
どうぞ、ご了承ください。
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私は幼少期〜小学生時代にかけて、いわゆる「良い子」だった。
両親の期待に沿わなければ・・・と思っていた。
父は大手アパレルメーカーに勤務していたので、いつもオシャレなブランド物を着せられていた。
といっても、父が会社から年に2回大量の服をダンボールで自宅に送り、その中から母が選ぶ
という形だった。
小学生の高学年位までは、私たち姉妹の着る服は毎日母が選んでいた。
小学生時代の記憶で今でも鮮明に覚えている記憶がある。たぶん1〜2年生の頃だと思う。
ある日、母が私に
「今日はあの服を着なさい」
と言った。私はタンスを探したが見つからない。その事を母に伝えると母は
「そんなはずはない、絶対にあるから探してきなさい」
当時の母は怖かった。私は言われるがまま、再度探しに行った。やはり見つからない。
「お母さん、ホントにないよ・・・」
すると母の顔は豹変し
「ホンマにないねんな!お母さんが見に行ってあったらどうする?」
という言葉と共に、ものすごい勢いで私たち姉妹の部屋へ行ってタンスを漁る母。
私の記憶はここまで。この後、服が見つかったのか見つからなかったのかは覚えていない。
ただただ母が怖かった。
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